私は約40年にわたり、看護・介護の現場で、人の老い、病い、認知症、そして看取りに向き合ってきました。
その時間の中で出会ってきたのは、病気や障害を抱えながらも、自分らしく生きようとする人たちでした。
そして、その人を支えようとしながら迷い、悩み、葛藤するご家族や、医療・介護の専門職の姿でした。
現場では、正解がすぐに見つからない場面がたくさんあります。
延命治療をどう考えるのか。
認知症が進んだとき、本人の意思をどう受け止めるのか。
最期の時間を、どこで、誰と、どのように過ごすのか。
家族として、専門職として、どこまで支えることができるのか。
そうした問いの前で、私は何度も立ち止まってきました。
その中で、いつも大切にしてきたのは、
「その人は、どのように生きたいのか」
という視点です。
そしてもう一つ、私が大切にしていることがあります。
それは、ただ「寄り添う」のではなく、
寄り添わせてもらえる人になること
です。
人は、安心できない相手には、自分の本当の想いを語ってくれません。
弱さも、不安も、迷いも、後悔も、家族への想いも、最期に望むことも、簡単には言葉にできないものです。
だからこそ、支援する側に必要なのは、正しいことを伝える力だけではないと思っています。
相手が、
「この人になら話してもいい」
「この人になら少し本音を出してもいい」
と思えるような関わり方。
その人の人生に踏み込みすぎず、けれど遠ざかりすぎず、語られる言葉だけでなく、語られない想いにも心を向けること。
私は、そんなふうに、寄り添わせてもらえる人でありたいと考えています。
また、私の看護観に大きな変化を与えたものの一つに、海外の医療やケアの現場での学びがあります。
さまざまな国の医療や介護のあり方を見ていく中で、延命治療に対する考え方、人生の最終段階への向き合い方、家族や専門職の関わり方、そして「人がどう生き、どう最期を迎えるのか」という人生観の違いに触れてきました。
日本の医療には、命を救い、支える力があります。
その恩恵を受けている方も多く、日本の医療の素晴らしさを感じる場面もたくさんあります。
一方で、人生の最終段階における医療やケアの選択では、難しさを感じることも少なくありません。
本人の想いが十分に確認されないまま、治療方針や療養の場が決まっていくこと。
本当はどこで過ごしたいのか、誰と過ごしたいのか、どこまでの医療を望むのかが語られないまま、長い時間が過ぎていくこと。
そうした場面を見るたびに、私は「医療があること」と「その人らしく生きること」は、必ずしも同じではないのだと考えるようになりました。
だからこそ、本人の想いを早い段階から聴き、家族や支援者と共有していくことが大切だと感じています。
その人がどのように生きたいのか。
何を大切にしてきたのか。
最期まで守りたいものは何なのか。
海外での学びは、私にあらためてその問いを深く考えさせてくれました。
医療や介護は、病気を治すこと、生活を支えることだけではありません。
その人が歩んできた人生を知り、その人が大切にしてきたものに目を向けながら、これからの時間を共に考えていく営みだと感じています。
Y’Caringは、そうした現場での経験と学びを、必要としている方へ届けるためにケアに特化した部門として立ち上げました。
ACP・人生会議、認知症ケア、終末期ケア、家族支援、そして医療・介護現場で働く人たちへの教育や講演活動を通して、本人・家族・支援者が一人で抱え込まず、共に考え、支え合える場をつくっていきたいと思っています。
人生の最終段階を考えることは、決して暗いことではありません。
それは、その人が大切にしてきた生き方を見つめ直し、これからの時間をよりよく生きるための対話でもあります。
認知症になっても、病いを抱えても、年齢を重ねても、
その人らしさは失われません。
Y’Caringを通して、人生に寄り添うケアを伝え、人と現場を支え、その人らしく生きることをあきらめない社会に少しでも近づいていけたらと願っています。






