アルデバラン

一般社団法人アルデバラン

イタリア視察シリーズ④ ローマの認知症ビレッジを訪ねて(その1)

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約7分

ローマで見た “認知症ケアのあるべき姿”  〜Villaggio Fondazione Roma訪問記①

毎年ヨーロッパ各国を訪れ、その国ならではの医療や福祉のあり方、そして人々の“ケア”に対する考え方を学んでいます。今年はイタリアを訪れ、ミラノ・フィレンツェ・ローマ・ボローニャの各地で施設を視察し、現地の方々との対話を通して、福祉の根底にある「人を支える哲学」に触れました。

私は30年以上にわたり、認知症ケアに向き合ってきました。30年前に精神科閉鎖病棟で「子どもが学校から帰ってくる時間だから家に帰りたい」と夕方になると泣いて訴える認知症のおばあちゃんと出会ったあの日から、“認知症ケアとは本来どうあるべきなのか”それをずっと考え続けてきました。

認知症の人の暮らしに必要なのは「管理」ではなく「支援」。「制限」ではなく「尊厳」。
その人がもともと持っている生活のリズム、好み、文化、歴史をまるごと支えることこそが、長い人生を生きてきた人への本当のケアであるということ。

そう信じ、これまで日本の現場で多くの方々と向き合ってきましたが、今回ご紹介するローマの Villaggio Fondazione Roma(旧 Villaggio Emmanuele) を訪れたことで、私自身の価値観がさらに揺さぶられるような体験となりました。

この施設は“村(Villaggio)”という名のとおり、単なる介護施設ではありません。まるで一つのコミュニティ、一つの街、人と人とが関わりながら暮らす「生活の場」として機能しています。

ここで目にしたのは、けっして「新しい」ケアではありませんでした。むしろ、認知症ケアが本来もつべき“人としての当たり前”が、この村では当たり前のように息づいていたのです。私はここに「認知症ケアの本来あるべき姿」を確かに見ました。

ここから3回に分けてお伝えしますが、まず第1回では「訪問当日の出来事」「ここで息づくケアの思想」について詳しく書いていきます。

訪問許可の返事がないままビレッジへ

事前にメールで2回問い合わせをし、さらにイタリアの友人にも電話で連絡してもらっていたのですが、結局、見学許可についての返事は最後まで届きませんでした。海外での施設訪問ではこうしたことは珍しくありません。担当者が多忙だったり、英語が通じなかったり、メール文化が日本ほど厳密でないこともあります。

それでも、ローマにあるこのビレッジだけは「どうしても見たい」と思いました。理由はただ一つ。イタリアで最も先進的で“生活の質(QOL)”に向き合った認知症ケアが実践されている場所 だと、紹介されていたからです。

「どうしよう、もし門前払いになったら……」そんな迷いを抱えたまま、それでも私はビレッジへ向かいました。見学が叶わなくても、そこに素晴らしい認知症ケアを実践している場所があることを見届けたい気持ちでもありました。

受付では英語が通じず

ビレッジに到着すると、入口でガードマンの方が、まるで来訪を歓迎するかのように穏やかな笑顔で私を迎えてくれました。しかし、受付に進むと英語が通じず、最初は意思疎通が難しく少し戸惑いました。そこで、イタリアの友人に電話をかけ、私の訪問目的をスタッフの方へ伝えてもらいました。

そのおかげもあってか、ほどなくして ビレッジの施設長ナースマネージャー がわざわざロビーまで迎えに来てくださり、直接お話しできる機会を得ることができました。
事前に訪問申し込みのメールを2回送っていたことを伝えると、対応するスタッフが産休に入ってしまい、返信が届かなかった事情を丁寧に説明してくれました。

そして突然の訪問にもかかわらず、「せっかく日本から来てくださったのだから、ぜひ見ていってください」と予定を調整し、施設全体を案内してくださったのです。

その言葉の一つひとつに宿るケアの思想

案内してくれたのは、落ち着きと誠実さを感じさせる男性のナースマネージャー。忙しい中、マンツーマンで施設全体を丁寧に案内してくださいました。途中からソーシャルワーカーの方も同行してくださいました。

語られる言葉は、このビレッジの本質そのものでした。

「ここは“介護施設”ではありません。ここは“生活の場”です。」

「認知症だからといって、できることを奪ったり制限したりはしません。」

「生活の選択肢はその人自身のもので、私たちはそれを支えるのです。」

この3つの言葉は、私が30年問い続けてきた認知症ケアそのものでした。そして案内を進めるにつれ、この理念が単なるスローガンではなく、構造、職員配置、活動プログラムの隅々まで徹底されていることがわかってきました。

ここは“村”だ ― 制限のない世界と安全の両立

ビレッジは「認知症の村」という名前の通り、小さなコミュニティのように作られています。

  • 緑あふれる中央広場
  • 噴水、ベンチ、散策路
  • 鮮やかな花々が咲くガーデン
  • 大きな公園が徒歩圏内

ここで暮らす高齢者は、毎日公園へ散歩に行ったり、ベンチでひなたぼっこをしたり、好きなときに好きな場所へ歩いていきます。時にはバスに乗り遠足へも行くそうです。

しかし、この自由は“放置”ではありません。

ビレッジ全体は周囲が柵で囲われていますが、閉じ込めるような雰囲気は一切ありません。認知症の方が柵に近づけばセンサーが反応し、スタッフがすぐ対応できるように20台以上のカメラで村全体を見守っています。

私は施設を歩いている間に、何度も自由に散歩する認知症の方とすれ違いました。
中にはスタッフと同伴しながら歩いている方もいましたが、多くの方が自分のペースで歩いている姿が印象的でした。

“歩く自由”がある。
“選ぶ自由”がある。
“暮らしを続ける自由”がある。

この自由こそ、認知症ケアの本質だと私は考えています。

生活に必要なすべてが“村”の中にある

ビレッジには、驚くほど多様な生活機能が備わっています。

  • レストラン・バー
    → 一般の市民も利用可能、地域に開かれた空間
  • 美容室(ビューティーサロン)
  • ミニマーケット(食材・日用品)
  • 音楽・美術・工芸のクラブ室
  • 図書館
  • フィジカルセラピー室
  • ジム
  • 礼拝室
  • イベントホール(地域向けの会議・講演も開催)

これらは単なる設備ではなく、認知症の人が「人生を続けるための環境」です。
外部の人々も自由に入れる仕組みにすることで、社会とのつながりを断たせない工夫もされています。

日本の多くの施設が「外の社会と隔絶された空間」になっているのとは対照的でした。

住まいは“家そのもの”

ビレッジには14棟の建物があり、12棟に現在66名(2025年10月末)の方が生活されていました。1棟は隔離棟として有事の際に使用するそうです。1棟はコミュニティセンターとなっていました。

1棟には、個室6部屋・共有キッチン・共有リビング・3つのトイレ(1つはスタッフ用)ありました。どの棟にも家庭的な家具が設置され、インテリアもとても素敵です。またスタッフはユニフォームではなく私服を着ており、各棟で固定されたスタッフが働き、馴染みの関係で認知症の方にケアできるよう配置されているそうです。

朝になると、スタッフとともにスーパーに買い物へ行き、その食材でキッチンで料理したり、庭で花を育てたり。認知症になっても、“暮らしの営み”が続きます。

第1回のまとめ

ここでは、認知症の方が「制限される存在」ではなく、“ひとりの市民”として暮らしを続けられる仕組みが当たり前に整えられています。そしてその根底には、スタッフ全員が共通して抱く「人の人生を支え続ける」という揺るぎない価値観がありました。

訪問で見えたのは、目に見える建築や設備以上に、このビレッジを支える“文化”そのものだったように思います。それは、受付スタッフの温かさに始まり、ナースマネージャーの丁寧な案内、そして村全体に流れる穏やかな空気に象徴されていました。

2回目に続く。。。

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