歴史と未来が融合するボローニャの高齢者施設「Santa Marta Senior House」

〜自立と共生を育む“開かれた暮らし”のデザイン〜
2025年10月、私はボローニャ市の中心、ストラーダ・マッジョーレに位置する「Santa Marta Senior House(サンタ・マルタ・シニアハウス)」を訪問しました。
この施設は、16世紀に建てられた修道院をリノベーションして生まれ変わった、ボローニャ初の“シニア・ハウジング”です。
建物の歴史は古く、1505年に創設された「サンタ・マルタ音楽院」や孤児院としての役割を経て、2006年に閉鎖。その後、長い沈黙の時を経て、ASP Città di Bologna(ボローニャ市社会福祉公社)によって再生されました。
私はこの場所で、アウグスト・デ・ルーカ氏(行政ディレクター)とマリア・アデーレ・ミンミ氏(シニアマネージャー)のご案内を受け、イタリアが描く新しい高齢者支援のかたちを肌で感じることができました。
修道院が“共に生きる家”へ ― 歴史的建築の再生
サンタ・マルタの建物は、約3300㎡の内部空間と2100㎡の屋外スペースを持つ大規模な複合施設です。リノベーションの総費用は約710万ユーロ。全額がASPの自己資金で賄われ、営利目的ではなく、持続可能な社会福祉モデルの実現を目的としています。
内部には31戸のアパートメント(モノロカーレ/ビロカーレ:単身・2人用)が整備され、最大50名の入居が可能です。特徴的なのは、完全な自立生活が可能でありながら、共用スペースを通じて自然な交流が生まれる構造になっていること。
床暖房、ビデオインターホン付きセキュリティ、Wi-Fi、防犯カメラなど最新設備を備えながら、
天井の梁やアーチ型の窓、修道院時代の礼拝堂がそのまま残されており、「過去と現在の共生」を象徴しています。
特に印象的だったのは、空間そのものが“癒やし”として機能していること。明るく開放的な中庭、回廊に続くアート展示スペース、緑に囲まれたガーデン。古い建築の静けさと現代的な快適性が見事に調和し、「建築が人を支える」という思想が全体に息づいています。

“暮らしの共同体”を支える仕組み
サンタ・マルタ・シニアハウスでは、居住者が自らの意思で参加し、共に暮らしをつくるという理念のもと、「共同生活」と「個人の尊厳」を両立させる仕組みが整えられています。
各居室にはキッチンと専用バスルームが備わり、自宅のような独立した生活を送りながら、共用のリビングやキッチン、多目的ホールで他の住民と交流できます。
また、“コミュニティ・マネージャー”が常駐し、交流イベントや文化活動をコーディネート。
音楽会、料理教室、園芸、地域住民との合同イベントなどが日常的に行われる予定です。
この運営スタイルは、ASPが掲げる「welfare generativo(創発型福祉)」の実践モデルであり、
単なる介護提供ではなく、“生きがいと社会的つながりを再構築する場”として設計されています。
経済的にも“持続可能”な住宅モデル
入居費用は月額1,700〜3,400ユーロ。この中には光熱費、清掃費、メンテナンス費、税金、造園、廃棄物処理費などがすべて含まれています。
ASPはこのプロジェクトから利益を得ず、入居費を運営コストのみに充当。市民の財産としての建物を再利用しながら、持続的な地域福祉を実現することを目的としています。
2024年12月18日から2025年3月18日まで入居者募集が行われ、選考通過者は研修プログラムを受けたうえで、2025年半ばに入居を開始予定。ボローニャ市のリッツォ・ネルヴォ福祉評議員は「これは都市再生と高齢者政策を融合させた先駆的モデルである」と評価しています。
イタリアが描く“Early ACP(初期段階の人生会議)”の舞台
私は日本で長年、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)について学び、実践してきました。
日本ではACPは「終末期医療の意思決定支援」として捉えられることが多いのに対し、このサンタ・マルタは「人生の後半をどう生きるか」からACPを始める場として位置づけられています。
人々が自分らしい暮らしを続けながら、仲間と語り合い、時に老いについても自然に語れる環境。
これはまさに、私が理想とする“Early ACPの実践モデル”だと感じました。ここで暮らすことは、ただ老後を過ごすのではなく、「これからの生をどう創るか」を選び取る行為そのもの。ACPが“終わりの支度”ではなく、“生き方をデザインする文化”として根づいていることに、私は深い感銘を受けました。

日本との比較 ― 閉鎖から開放へ
日本の高齢者施設の多くは、医療・介護を中心とした“守りの構造”を持っています。安全性や効率性は高い一方で、地域社会との接点が希薄で、「暮らし」が制度の枠内に閉じ込められてしまう傾向があります。
それに対してサンタ・マルタは、“開かれた生活文化”を基盤にしています。施設の中庭で行われる音楽会や市民イベント、地域住民が自由に訪れられるカフェスペース、そして今後はアート展示も予定されているとのこと。ここでは“高齢者の生活”が“地域の文化”と地続きになっており、「介護=支援」ではなく、「介護=共生」という発想が根底にあります。このような取り組みこそ、日本の福祉がこれから学ぶべき方向性だと強く感じました。
建築そのものが“ケア”である
サンタ・マルタを歩いていると、「空間が人に語りかけてくる」ような感覚に包まれます。古代の修道院としての静謐さを残しつつ、現代建築の光と空気を取り入れたデザイン。美しいアーチの廊下、木の香り漂う梁、石造りの壁に反射する午後の光。
これらは単なる意匠ではなく、人の感情や記憶を支える“環境としてのケア”なのだと思います。
“癒し”を空間の中に織り込むという設計思想は、日本の介護施設設計にも大きな示唆を与えてくれます。
おわりに・・・
見学を終えたとき、私は一つの確信を持ちました。
それは―
「ACPは人生の最終章ではなく、人生を再び描き始めるプロセスである」ということ。
サンタ・マルタ・シニアハウスは、その出発点を体現する場所でした。ここでは、高齢者が“守られる存在”ではなく、“社会を共に創る存在”として生きています。美しい歴史的建築の中で、人生の後半をもう一度デザインする。それはまさに、老いを肯定する文化の表れです。この訪問を通して、私は日本の介護・福祉・建築の未来に向けて新たな視点と希望を得ることができました。





