ローマで見た “認知症ケアのあるべき姿” 〜Villaggio Fondazione Roma訪問記②〜
“人が暮らし続けるための仕組み” を徹底して守る村のチーム力**
第1回では「訪問当日の出来事」そして「ここで息づくケアの思想」をお伝えしました。
第2回となる今回は、Villaggio Fondazione Roma(以下、ビレッジ)を内側から見たときに感じた “生活を支える仕組みの強さ” について詳しく書いていきます。
このビレッジが、どのようにして「制限ではなく自由」「管理ではなく支援」を実現しているのか。その核心にあるのは、建物のつくりでも、豪華な設備でもありません。
「人の暮らしを守るために、どのようなチームが、どんな価値観で動いているか」
ここにこそ、ビレッジの強さと独自性があります。

1.手厚すぎるほどのスタッフ配置
尊厳ある生活”を支えるのは、人の力
案内を担当してくれたナースマネージャーから最初に聞いて驚いたのは、スタッフ数の多さです。
▼ レジデンス(居住棟)のスタッフ構成(一部抜粋)
- ナース:10名
- OT(作業療法士):3名
- サイコロジスト:2名
- ソーシャルワーカー:2名
- 専門教育者:複数名(各棟へ配置)
- アクティビティコーディネーター:5名
- 夜間スタッフも常駐
- 医師は外部連携で必要時に来訪
そして、総スタッフ数は 120〜200名規模。
入居者数は 約70名 ですから、日本では考えられないほどの“手厚さ”です。

2.なぜビレッジは「手厚い配置」ができるのか
ナースマネージャーはこう話していました。
「僕たちはとても恵まれていると思っています。他のイタリアの施設がこの人数を確保できるわけではありません。ここは財団の支援によって守られた場所なのです」
財団によるチャリティモデルなのです。
ビレッジは、巨大な財団の寄付と資金によって運営されています。つまり、公的保険料や利用料に頼らずともケアの質を守れる仕組みなのです。
そのため、以下がすべて“無料”です。
- 居住型サービス
- 半居住型サービス
- デイセンター
- 生活支援
- 文化・芸術・運動プログラムの利用
ナースマネージャーは静かに言いました。
「ここではお金によってケアの差が生まれません。人として生きていく権利だけがあるのです。」
日本では「保険が使えないからできない」「加算がないからできない」という理由で本来やるべきケアが削られていく現場を何度も見てきました。
しかしビレッジでは、正しいケアを“正しく行うために”資源が投じられているのです。これは、認知症ケアの未来に明るい希望を見る瞬間でした。
3.利用者を“分類しない”のではなく、“理解し分ける”
ビレッジが行うケアの特徴として、非常に興味深い点があります。それは、ステージ・人生背景・教育レベルまで考慮されていることです。見学中、ナースマネージャーが非常に印象的な説明をしてくれました。
「僕たちは“認知症のステージ”だけでは人を分けません。
その人がどんな人生を生きてきたか、どんな文化を持っているか、
どのような生活リズムで生きてきたか――
それがそのまま暮らしのグループを形づくるのです。」
その説明が、とても明確でした。
「認知症の進行度」だけでなく、「人生背景・性格・教育レベル・職歴」まで考慮して生活グループがつくられていました。これはとても大切なことであると思いました。
1. Traditional Style(伝統的スタイル)・・・いわゆる“ブルーカラー”世代の方が安心して暮らせるグループ
特徴:工場勤務、職人、大工、職能系の仕事をしてきたなど、家庭的・素朴で、長年の生活習慣を大事にしてきた、人懐っこく、家庭的なコミュニティを好む、文化的にも“昔ながらの生活スタイル”が合う
スタッフは、「昔からの生活ペース」「家庭的な落ち着き」「役割のある暮らし」が続けられるように支援しています。「静かに過ごしたい人、家庭的な雰囲気が好きな人がここに合うのです。」
2. Cosmopolitan Style(国際的・教養の高いスタイル)・・・大卒・海外経験・語学が話せる“インテリ層”が心地よい環境
特徴:大学卒以上が多い(医師、教師、研究者、公務員、管理職など)、読書が好き、文化・芸術に関心が深い、クラシック音楽、絵画鑑賞、知的な会話を好む、社会的に“高い教養”をもって生きてきた層、国際的な価値観を持ち、話題も幅広い
3. Dynamic Work Style(働き方によるダイナミックスタイル)・・・仕事中心に生きてきた、いわゆる“ホワイトカラー層”のためのグループ
特徴:ビジネスマン、会社員、管理職、専門職など、生活のルーティンが明確、運動や散歩が好き
「仕事中心に生きてきた人は、日々のテンポが違います。そのテンポを崩さない環境をつくることが、認知症ケアの安定につながる」とのこと。
私自身、30年以上認知症ケアに携わる中でずっと感じてきたことがあります。認知症の人の住み分けは、“進行度”だけで決められるべきではない。社会的背景・文化的背景・人生史によって、必要とする環境はまったく異なる、ということです。
しかし日本の多くの施設では、残念ながらこの視点がほとんど取り入れられていません。日本では「認知症」というラベルがついた瞬間、それまで歩んできた人生の多様性がかき消され、まるで“同じ特性を持つ一つの集団”のように扱われてしまいます。
学歴も、職歴も、生活文化も、人生で積み重ねてきた価値観も異なるのに、一律のケア、同じ環境、同じ活動の中に押し込められてしまうのです。しかし、このビレッジは明確に違っていました。
ナースマネージャーはこう説明します。
「人生の背景が違う人を無理に一緒にすると、その人の“日常”がなくなります。
私たちは、その人が生きてきた世界をできる限りそのまま守りたいのです」
私はこの言葉に深くうなずきました。

4.「家族の役割」を大切にする文化
自由な出入り、散歩、レストラン利用、買い物
ビレッジでは、家族は自由に出入りできます。
- 一緒に外出できる
- レストランで食事ができる
- 村内のベンチでゆっくり過ごせる
- スーパーに一緒に買い物に行ける
- 美容室で髪を切ってあげられる
- カフェでお茶を飲みながら語り合える
これらすべてが、ここでは特別なことではなく“日常”として自然に行われています。その光景を前にすると、日本の高齢者施設に根強く残る “面会制限文化” が頭をよぎり、胸が締めつけられる思いがしました。
私はこれまでにも面会制限の問題についてブログで触れてきましたが、今回あらためて強く感じたのは、日本は、いつの間にか「守る」ことと「閉ざす」ことを混同してしまっているのではないか ということです。感染対策や安全の名目で、人と人のつながりが断たれていく。家族が触れられない、会えない、話せない。“心”が遮断された状態で、本当のケアは成立するのだろうか。そんな疑問が、ここローマの村でいっそう鮮明に浮かび上がりました。
若いアルツハイマー型認知症の女性入居者が、ご主人とベンチに並んで座り、静かに、そして確かに手をつないでいたのです。言葉はほとんど交わしていません。けれど、手と手を重ねるその一瞬に、
夫婦が歩んできた年月すべてが宿っているように感じました。
これこそが“人の暮らし”だ。これこそが、守られるべき関係だ。
認知症であっても、愛する人とのつながりは変わらない。そのつながりを守るための環境づくりこそが、認知症ケアの根幹なのだと、あらためて深く実感した瞬間でした。
5.文化・芸術・運動・宗教 ― 多彩なプログラムが“暮らしの質”を支える
ビレッジ内部には、驚くほど多様なアクティビティ空間があります。
- 音楽療法室
- 美術・工芸のスタジオ
- 読書・図書室
- ジム & フィジカルセラピー
- スヌーズレンルーム
- イベントホール
- 教会・礼拝室
- 美術館訪問の外出ツアー
- タヒチダンス(週3回)
特に印象深かったのは、太極拳を楽しむ認知症の方々の姿でした。椅子に座りながらでも、立ちながらでも、自分のペースで参加することができます。
またタンゴセラピーも行われており、音楽が流れ、笑い声がひびき、人と人が同じ時間を共有している。その光景は、“認知症だから特別扱いされている”のではなく、“認知症でも人生を楽しんでいる”という姿そのものでした。

第2回のまとめ
ここは「介護の場」ではなく「人生の場」、第2回でお伝えしたように、ビレッジには次の3つが確固として存在しています。
- 生活を支えるだけの圧倒的なスタッフ配置
- 人生背景を尊重した生活グループの構築
- 自由・尊厳・文化・社会参加を守る仕組み
どれも日本では実現が難しい側面がありますが、ビレッジを見て改めて確信したことがあります。認知症ケアの質は、“その人がその人らしく暮らせる自由”をどれだけ守れるかで決まる。
ビレッジはそれを“制度”ではなく“文化”として確立していました。次回(第3回)は、「住まいの内部」や「生活風景の詳細」、そして日本のケアとの具体的比較 を書いていきます。





