世界初の孤児院「Ospedale degli Innocenti」に見る 〜命を受け入れるという社会の選択〜
毎年ヨーロッパ各国を訪れ、その国ならではの医療や福祉のあり方、そして人々の“ケア”に対する考え方を学んでいます。今年はイタリアを訪れ、ミラノ・フィレンツェ・ローマ・ボローニャの各地で施設を視察し、現地の方々との対話を通して、福祉の根底にある「人を支える哲学」に触れました。
今回ご紹介するフィレンツェの「Ospedale degli Innocenti(オスペダーレ・デッリ・イノチェンティ)」は、私にとって特別な場所となりました。ここは、世界で最初に“見捨てられた子ども”を社会が受け入れた孤児院。600年前の人々が、命と向き合い、守るために作り上げた建物です。

■ ルネサンスの都に生まれた“命を守る建物”
「Ospedale degli Innocenti」は、フィレンツェの中心部に静かに佇む歴史的建造物です。1419年に建築が始まり、設計を手掛けたのはルネサンス建築の巨匠フィリッポ・ブルネレスキ。アーチ型の柱廊が連なる美しい外観は、いまも街の象徴的な風景として愛されています。
しかし、この建物の本当の価値は、芸術や建築の美しさではありません。それは、命を受け入れるという社会的な決断がここに形として残されていることです。中世のイタリアでは、貧困、未婚出産、宗教的偏見などを理由に、子どもを育てられず命を落とす例が後を絶ちませんでした。その現実に対して、フィレンツェの人々は“母を罰する”のではなく、“母と子を守る”ための施設を創設するという選択をしました。
建物の外壁には、かつて「Ruota(ルオータ)」と呼ばれる回転扉が設けられており、母親は赤ちゃんをその中に置くことで、匿名のまま安全に託すことができました。修道女たちは赤ちゃんを迎え入れ、名前を付け、衣服を用意し、教育を施して社会へと送り出したといいます。つまりここは、世界で初めて「家庭で育てることが難しかった子どもを社会が公に受け入れた施設」であり、現代の児童福祉や養護制度の原点でもあるのです。


■ “半分のモニュメント”に込められた母の想い
館内には当時の記録や遺品が数多く展示されています。その中で私の心に深く残ったのが、「半分に割られたモニュメント」です。
母親たちは、赤ちゃんを託すとき、小さなペンダントや布切れ、メダルなどを半分に裂き、片方を赤ちゃんに、もう片方を自分の手元に残したそうです。それは、「いつかまた会える日を信じて」という祈りの象徴でした。
展示ケースの中には、色あせた布片、古びた金属の欠片、そして小さな手紙。イタリア語で書かれた文字の意味はわからなくても、「どうかこの子を生かしてほしい」という切実な想いが、静かに胸に響きました。母親の苦悩と愛情、そして社会に託すしかなかった命。その“断ち切られた絆”を象徴する半分のモニュメントは、時を超えて今も“ケアの原点”を語りかけてきているように感じました。


■ 建築が語る「ケアの思想」
この施設を歩くと、建築そのものが“ケア”の一部であることに気づきます。中庭にはやわらかな光が差し込み、回廊は静かで穏やか。音が反響しすぎないよう設計された空間は、人の心を落ち着かせます。
イノチェンティ病院では、医療・教育・宗教・地域が一体となり、子どもたちは読み書きを学び、手に職をつけて社会へと巣立ちました。ただ保護するのではなく、「育て、支え、自立へ導く」。600年前のフィレンツェには、すでにそんな福祉思想が存在していたのです。私はこの建物を見ながら、「建築が人を守り、人の尊厳を支える力を持つ」ということに、深い感動を覚えました。
■ 現代に続く“命を守る場所”
現在、「Ospedale degli Innocenti」は「Istituto degli Innocenti(イノチェンティ研究所)」として新たな使命を担っています。館内には博物館「Museo degli Innocenti」が併設され、さらにユニセフ・イノチェンティ研究センターが置かれています。
ここでは、児童虐待防止、教育支援、女性と子どもの権利保護など、現代社会が抱える課題に対する国際的な研究と提言が行われています。かつて命を受け入れたその場所が、今も“命を守る最前線”として機能している。ルネサンスの時代に始まった理念が、21世紀の人権・福祉の中心で今なお息づいていることに、私は心を打たれました。
■ 日本の「赤ちゃんポスト」と共鳴する理念
この施設を訪れたとき、私の頭に浮かんだのは、日本の「赤ちゃんポスト(こうのとりのゆりかご)」のことでした。2007年に熊本市の慈恵病院が設置したこの取り組みは、匿名で赤ちゃんを預けられる“命のセーフティネット”として始まりました。以来、全国的な議論を呼び、今も賛否両論があります。
「親の責任放棄を助長する」「匿名で預けることは子どもの権利を奪う」、そんな厳しい意見もあります。けれどもその一方で、「命を救うための最後の受け皿である」と評価する声も多く、実際に救われた命が数多くあることも事実です。
この議論を思い出しながら、私はイノチェンティ病院を歩きました。600年前のフィレンツェでも、同じような葛藤があったに違いありません。母を責めるのではなく、社会が受け入れる。その選択が、いまの私たちに問いかけているようでした。
命の価値を数字や制度で測ることはできません。ーどんな命も、生まれた瞬間から尊い。その尊厳を社会全体で守るーその思想こそが、イタリアのこの地から始まったのです。
■ 命を受け入れるということ
「命を救う」という言葉は、ときに医療行為を連想させます。けれども、イノチェンティ病院で感じた“命を守る”とは、もっと根源的で、静かで、深いものでした。それは、「この命を受け入れる」という社会全体の意思。母の苦しみを理解し、子の未来を託す勇気。そして、その両方を包み込む人間の共感力。
この精神が600年前にすでに存在していたこと、それが今も形として残っていることに、心からの敬意を覚えます。命の重さを、建物と展示が静かに語ってくれています。この場所は、まさに“ケアの原点”が息づく空間でした。
おわりに ― フィレンツェから始まった“命の哲学”
「イノチェンティ病院を訪れて感じたのは、“福祉”とは制度や建築ではなく、人の想いを社会で引き受けることだということ。600年前のフィレンツェが、すでに“受け入れる社会”を形にしていたことに、深く感動しました。日本の赤ちゃんポストも同じ理念から生まれた命のプロジェクト。賛否を超えて、そこに共通しているのは“命を見捨てない”という心です。」
「Ospedale degli Innocenti」は、単なる歴史的建物ではありません。それは、人間が命と向き合い、受け入れたという“生きた記憶”です。母と子の絆、社会の責任、そして生命の尊厳―このすべてが、ひとつの建築に込められています。
日本の赤ちゃんポストが果たす役割も、その根源には「命を社会がどう受け止めるか」という問いがあります。制度が変わっても、時代が進んでも、命を受け入れる勇気とやさしさは、いつの時代も人を動かす原動力です。
命を守るとは、生かすことだけでなく、その存在を「ここにいていい」と社会が認めること。フィレンツェの空の下で、私は“ケアとは何か”という問いの答えを、静かに教えられた気がしました。





