はじめに
私が高齢者施設で「看取り(みとり)」を始めたのは2008年前後だったと記憶しています。当時の現場は、点滴や延命処置をしないことが果たして正しいのかどうか、常に悩みと葛藤がつきまとう状況でした。
延命を行うことが当然視される「延命至上主義」の空気が強く、医療従事者も家族も「治療をやめること=見捨てること」という思い込みをなかなか捨てられなかったのです。そうした時代に出されたのが、日本老年医学会による「立場表明2012」でした。
これは国内の専門医学会としては初めて、治療の差し控えや中止について公式に言及した文書であり、現場にいた私にとっては非常に大きな意味を持つものでした。延命だけが正しいのではない、「本人の尊厳やQOLを大切にしながら終末期をどう支えるか」を示してくれたことに、心強さを覚え、これまで自然に看取った事例のジレンマが少しやわらいだのを鮮明に記憶しています。
それから13年が経ち、2025年に新たな立場表明が出されました。今回は、その内容を整理しながら、私自身の経験や思いも交えて紹介したいと思います。
胃瘻造設が減少した2012年前後
高齢者ケアに長年関わってきた方なら、2012年前後を境に胃瘻造設が減少したことを覚えていらっしゃると思います。そのきっかけのひとつがまさに「立場表明2012」であったと思います。
そこでは、高齢や認知症の有無にかかわらず、すべての人が最善の医療やケアを受けられることを重視し、年齢によって対応を変えることはあってはならない、という姿勢が示されました。
さらに、治療選択ではQOLや本人の主観的幸福感を重視し、胃瘻や人工呼吸器といった治療は本人の尊厳や苦痛に十分配慮したうえで選択すべきだと提言されたのです。
当時としては非常に斬新で、現場にいた私にとってはまさに「指針」となる内容でした。
その後、診療報酬改定によって嚥下機能評価を伴わない胃瘻造設の点数は大幅に引き下げられ、社会全体でも胃瘻は「便利な栄養手段」から「苦痛を伴いうる延命治療の一つ」と認識が変化していきました。
胃瘻をめぐる“実装上のばらつき”
2012年に日本老年医学会が発表した「立場表明2012」は、延命治療に関する議論を大きく前進させる画期的なものでした。これをきっかけに、胃瘻に対する社会的な見方にも変化が生まれ、2014年の診療報酬改定で嚥下機能評価のない胃瘻造設に対する点数が大幅に削減されたことで、全国的には新規造設件数が減少に転じました。
一部には、この変化をもって「胃瘻に対するネガティブな認識が行き過ぎて、必要な場面でも避けられるようになった」というような、“副作用”を指摘する声もありました。しかし、私自身が関わってきた現場の実感としては、むしろ今なお「無用な胃瘻造設が推し進められる」「本人や家族の意思確認もなく、当然のように“食べられないから胃瘻”とされる」ケースが多く存在するという状況です。
つまり、「胃瘻は悪だ」という単純な二項対立的認識が社会全体に広がったというよりも、医師の考え方や地域、施設の方針によって対応が大きく異なっており、“ばらつき”が依然として深刻であるというのが実情ではないでしょうか。
本来、胃瘻はすべて否定されるべきものではありません。適切な情報提供と十分な話し合いのもとで、嚥下機能の回復やリハビリ、あるいは本人の意向を叶えるための選択肢の一つとなるべき治療手段です。しかし現実には、「胃瘻にするかどうか」という重要な意思決定のプロセスが、患者や家族の意向を汲み取らないまま進められてしまう場面も少なくありません。
制度上は、嚥下評価の要件化やACP(アドバンス・ケア・プランニング)の推進など、「選べる医療」の実現に向けた土台は整いつつあるものの、現場レベルでそれが十分に実装されているかというと、決してそうではない。患者・家族に対して情報提供が不足していることや、医療者側の“説明しなくても当然”という無意識の前提が、今なお多くの現場で見られるのが現実です。
このような状況を見るにつけ、私は「胃瘻そのものの是非」を問うのではなく、誰の視点から、どのように治療方針が決められているのかというプロセスそのものを丁寧に見直していくことの重要性を強く感じます。2012年の立場表明が示した「治療の差し控えや中止を含めた適切な意思決定」の在り方が、今まさに問い直されるべき時期にあるのではないでしょうか。
「立場表明2025」の登場
2025年に日本老年医学会が発表した「立場表明2025」は、2012年版と比べて、さらに広範で構造的な内容となっています。背景には、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)をめぐる混乱があるのではないかと私は感じています。
現場では、ACPが十分に理解されないまま、「形だけの意思決定」が行われている場面が少なくありません。そうした状況に対して、今回の文書は明確に警鐘を鳴らしているように思います。特に印象的だった5つのポイントについて、以下に整理してみます。
1. 「人生の最終段階」という概念の再定義
従来の「終末期」という表現は、医学的な予後予測に依存するものでしたが、本提言では「人生の最終段階」という言葉が用いられています。
ここには、医学的な見通しだけではなく、本人の「物語的視点」から残された時間をどのように生きるかを捉えるという姿勢が含まれています。生命を二重の視点から見るという考え方は、私自身もケアの現場で強く意識してきたところです。
2. 「本人の満足」をアウトカムに
従来の医療では「効果」や「延命」が中心的な指標とされてきましたが、今回の立場表明では、本人の満足=QOL(生活の質)や主観的幸福をアウトカムとして位置づけています。
たとえば「誤嚥させない」「疼痛をコントロールする」といった医学的な目標だけで満足してしまうのではなく、その先にある「本人の幸福感」こそが大切にされるべきだとしています。これは当然のようでいて、実際にはまだ現場で十分に実践されていない重要な視点だと感じます。
3. 「非言語的意向」への配慮
認知症などで言葉による表現が難しい高齢者であっても、表情や態度、バイタルサインの変化から意向をくみ取ろうとする姿勢が強調されています。 診断名がついていることを理由に、本人に話をせず、家族だけに説明する専門職も依然として見受けられます。しかし、本当に大切なのは、本人が発する小さなシグナルをキャッチすることです。
4. ACPとSDM(共同意思決定)の位置づけ
現場ではいまだに、「ACPを取りました」といった形式的な報告がなされることがありますが、それは本来のACPのあり方とは異なります。
今回の立場表明では、本人の物語性をもとにした意思決定を重視しており、西洋的な「自律性」に加え、日本特有の「推し量る文化」や家族の関与を踏まえた意思決定支援の在り方が提案されています。
これは非常に日本的であり、かつ現実的な指針であると私は感じています。
5. 高齢者救急の制度改革への提言
85歳以上の救急搬送が急増している現状を踏まえ、入院に伴う機能障害(HAD)のリスクに警鐘を鳴らし、救急医療と緩和ケアの融合を提言しています。
私自身も、急激な環境変化が高齢者に大きなダメージを与える「リロケーションダメージ」を、現場で何度も目の当たりにしてきました。だからこそ、可能な限り在宅や施設で急性期ケアが行える体制を整備することが必要だと強く感じています。 制度設計におけるインセンティブや、逆に入院の長期化を避けるためのディスインセンティブについても、今後は議論されるべきではないでしょうか。
2012年版から2025年版へ ― 何が変わったのか
「立場表明2012」は、主に延命治療の是非や胃瘻造設の適正化に焦点が当てられていました。
それに対して「立場表明2025」は、終末期医療にとどまらず、社会文化的背景、倫理的課題、救急医療制度にまで視野を広げ、高齢者の人生の最終段階をどう支えるかという包括的な問いを投げかけています。
つまり、2012年版が「延命一辺倒の価値観からの脱却」を促したのに対し、2025年版は「本人の物語を尊重する社会全体の構造改革」を求めているように思います。
私自身の思い
私が高齢者施設で看取りに関わるようになったのは、平成20年(2008年)前後のことでした。当時は、点滴や延命処置を行わないことが本当に正しいのか、強い迷いや葛藤を抱えながらケアに向き合っていたのを今でも鮮明に覚えています。「立場表明2012」が出されたときには、その内容が現場での不安や迷いを支えてくれる指針となり、大きな励ましになりました。
そして今、「立場表明2025」を読み、再び私は大きな勇気をもらっています。
高齢者医療や老年医学そのものが、広い意味での“緩和ケア”であることを、改めて実感しました。
これまで私がACPの講演などで繰り返し伝えてきた「高齢者の終末期ケアは、人生の緩和ケアである」という考え方が、間違いではなかったのだと確信できて、とても嬉しく思っています。
ただし、2012年当時の胃瘻をめぐる議論のように、誤解や過剰反応が再び生じてしまわないことを願っています。ACPの制度化を急ぎすぎて、たとえば「18歳以上の国民に事前指示書を義務づける」といったような方向に議論が進んでしまえば、本来の意図が歪められてしまいます。重要なのは、制度ではなく、現場で一人ひとりの「最善」を丁寧に模索し続けることなのだと私は思います。
おわりに
日本老年医学会の立場表明は、単なる医学的なガイドラインではなく、私たち社会全体に問いを投げかける提案であると感じています。
- 本人の人生の物語を尊重すること
- 非言語的意向に耳を傾けること
- 本人の満足をアウトカムとすること
こうした視点を、医療現場だけでなく、在宅ケアの現場でも共有していくことで、高齢者が最善の人生の最終段階を送れる社会に近づいていけるのではないでしょうか。
私自身も、看取りを始めた頃の初心を忘れず、この「立場表明2025」を道しるべとしながら、これからも歩んでいきたいと思っています。
全文は、日本老年医学会の公式サイトからご覧いただけます。ぜひ一度、直接お読みいただければ幸いです。
👉 日本老年医学会 立場表明2025