はじめに
わたしと〝ばばちゃん〟は6年前に知り合いました。話し好きで世話好きの彼女とは、不思議な縁を感じることが多く、いつしか私は彼女のことを家族のように〝ばばちゃん〟と呼ぶようになりました。
昨年11月に〝ばばちゃん〟の後見人から、〝ばばちゃん〟のたっての願いである彼女の生まれ故郷である鹿児島旅行に付き添ってもらえないかというお電話が入りました。「もちろん喜んで!!」そして、この願いをなんとか叶えたいと動き出しました。
ばばちゃんとの出会いと絆
私が〝ばばちゃん〟と初めて出会ったのは2017年、当時私が勤務する施設に彼女が入所してきたのです。当時〝ばばちゃん〟は、私の多忙な業務を気遣って声をかけてくれたり、たくさん話を聞かせてくれたりと私のことをとっても気に入ってくれているようでした。
〝ばばちゃん〟は母親を早くに亡くし、激動の戦後に弟の面倒をみながら必死に生きてきた話や、生まれ故郷の鹿児島の話などをひとしきり終えると、最後に必ず笑顔で言うのです。「鹿児島の私の土地に家を建てて一緒に暮らそう。土地がいっぱいあるから大丈夫」と。
〝ばばちゃん〟は歳を重ねるごとに物忘れが少しずつ増え、見た目も身体にも確実に老いが進んでいきました。2019年の暮れに〝ばばちゃん〟は、遠方の特別養護老人ホームに入所となり、お別れの日がやってきたのです。
しかし、その後に〝ばばちゃん〟の体調不良や色々な出来事があり、〝ばばちゃん〟が近隣の特別養護老人ホームに移ってくることになったのです。2年ぶりに面会が叶った日、私も〝ばばちゃん〟も・・・涙、涙の再会になりました。
鹿児島旅行の計画
〝ばばちゃん〟と私には何か不思議な縁で繋がっているような気持ちです。旅行付き添いのイリアが来てから数日で、長年の願いを叶えるために鹿児島への旅行を計画しました。
季節の良い4月か5月に行くことを決め、「来年、鹿児島に行こうね」と伝えると、目を輝かせながら「家を建てて一緒に暮らそう」と言って〝ばばちゃん〟もその旅行を心待ちにしていました。
健康状態の変化と挑戦
旅行までカウントダウンとなってきた2月の初旬、〝ばばちゃん〟は硬膜下血腫で入院してしまいました。非常に心配しましたが、驚くほどの回復を見せてくれて、3週間ほどで〝ばばちゃん〟は退院してきたのです。このまま順調に回復すれば、4月の旅行に間に合うかもしれないと期待しました。
ところが、3月には脳梗塞を起こしてしまいました。これにより、4月の旅行は中止せざるを得なくなりました。脳梗塞と聞いて、今回の回復は難しいかもしれないと思いましたが、再び〝ばばちゃん〟は回復し、大きな後遺症もなく退院したのでした。
秋の旅行への希望
〝ばばちゃん〟に再び面会すると、少しやつれた様にも感じましたが、いつもの〝ばばちゃん〟節で和ませてくれました。後見人と話し合い、今年の秋頃に旅行の再チャレンジをしてみようと決めました。〝ばばちゃん〟も「鹿児島に行けるのを楽しみにしている、いまからでも行けるよ」と言ってくれました。
おわりに
私は、彼女の人生の最期の願いを叶えるため、この秋の旅行の準備を進めています。彼女は、故郷に戻れることを心から願っています。この旅行が〝ばばちゃん〟の人生の物語の素晴らしい1ページとなるように。秋の旅行が叶えられた際には、またこちらでそのご報告が出来ればと思っています。