私が看護学生だった頃、新規入院された患者さんが83歳でした。その時、ナースステーションで「すご〜い長生きだね」と皆で驚いたことを、今でも鮮明に覚えています。あの頃、80歳を超えること自体が「すごいこと」だったのです。しかし現在はどうでしょう。90歳を超えて手術を受けることは決して珍しくなくなりました。実際、私の祖母も98歳まで生き、晩年に2回も骨折の手術(OP)を受けています。今や「長生き」は特別なことではなく、日本社会の日常となりつつあります。
55年連続で増え続ける100歳以上の高齢者
厚生労働省が2025年9月に発表したデータによると、日本における100歳以上の高齢者は9万9763人に達しました。前年から4644人増加し、55年連続で過去最多を更新しています。そのうち約88%が女性であり、長寿社会における女性の存在感が際立っています。さらに、1963年当時は全国でわずか153人だった「百寿者」が、今では10万人近くにまで増加しました。まさに、日本は世界有数の長寿国として歩んできたのです。
この背景には、戦後の急速な経済成長や衛生環境の改善、栄養状態の向上、そして医療技術の進歩があります。かつては治療が難しかった病気が治せるようになり、早期発見・早期治療が可能となり、命を救える範囲は格段に広がりました。その結果、「生きられなかった命が生きられるようになった」時代から、「より長く生きられる時代」へと移行したのです。
長生きは良いこと? その裏にある現実
「長生きは良いこと」・・・誰しも一度はそう思うでしょう。家族が元気に長生きしてくれることは、もちろん喜ばしいことです。しかし、その「長生き」の内実に目を向ける必要があります。たとえば、寝たきりや認知症、終末期の治療など、QOL(生活の質)が低下している状態での長寿は、本人や家族にとって必ずしも幸福とは限りません。
私の祖母も、骨折後の手術は成功したものの、その後のリハビリや生活の変化は大きく、本人も家族も多くの葛藤を抱えました。「もっと早くこうしておけばよかった」「本人の希望は本当にこれで良かったのか」・・・現場で働く看護師として、そして家族として、私は何度もこうした思いに直面してきました。
医療の「至上延命主義」とその限界
日本は、戦後から現在に至るまで「医療は命を救うもの」「治せるものは治す」という価値観のもと、医療制度を発展させてきました。その結果、長寿世界一の国となりましたが、同時に「至上延命主義」ともいえる側面が強くなりました。「とにかく延命する」ことが目的化し、本人の意思や生活の質が後回しにされるケースも少なくありません。
この延命重視の医療は、医療費の膨張という現実的な問題も抱えています。高度な治療を繰り返し受けても、回復が望めない場合や、本人が望んでいない場合でも「とりあえずやる」という選択がなされることがあります。それは、患者・家族・医療者すべてにとって重い負担となるのです。
「しまい方」を考えることの大切さ ― ACPの役割
私はこれまで、講演や研修を通して「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」の重要性を伝えてきました。ACPとは、本人が自分の望む医療やケアについて、あらかじめ家族や医療者と話し合い、意思を共有しておく取り組みのことです。いわば「人生のしまい方を考えておく」ためのプロセスです。
ここで誤解してほしくないのは、「早く死になさいと言っている」のではない、ということです。私が伝えたいのは、「無責任に死ねない」ということです。自分がどのように生きたいのか、どこまで治療を望むのか、最期はどこで過ごしたいのか。こうしたことを考え、話し合っておくことは、自分自身だけでなく、家族や医療者にとっても大きな支えとなります。
ACPは、「長生きすること」と「どう生きるか・どう終えるか」をつなぐ架け橋です。高齢化が進む社会において、ACPが広がることは、医療費の抑制や無駄な延命医療の減少にもつながりますが、それ以上に「自分らしい最期を迎える」ために欠かせないものです。
日本社会は長寿とどう向き合うのか
厚生労働省のデータが示すように、日本は今後ますます「100歳以上人口」が増えていきます。長寿社会の到来は喜ばしいことですが、同時に、社会全体で「長寿の質」や「最期のあり方」に真剣に向き合わなければなりません。
たとえば、在宅医療・在宅看取りの体制整備、地域包括ケアの推進、終末期ケアに関する教育の普及、そしてACPの制度的支援など、多くの課題があります。これらは単なる医療政策の問題ではなく、国民一人ひとりの価値観や生き方の問題でもあります。
「どこで、誰と、どう生き、どう終えるのか」という問いは、これまで一部の医療・福祉関係者だけが議論してきたテーマでした。しかし、今やそれは、私たち全員が考えるべきテーマです。家族や友人と話し合うこと、地域の講座に参加すること、ACPの記録を残すこと・・・こうした小さな行動が、日本社会全体の医療文化を変えていく力になります。
おわりに
私が看護学生だった40年前、83歳の患者さんを見て長寿だと驚いたあの日から、社会は大きく変わりました。今では「90歳で手術」は珍しくありませんし、「100歳以上」は10万人近くに達しています。長寿はもはや「特別なこと」ではなく、「私たちの現実」となりました。
だからこそ、長寿社会に生きる私たちは「長生きは良いことかどうか」という単純な問いを超えて、「どう生きるか」「どう終えるか」という問いに向き合わなければなりません。ACPはそのための大切なツールですし、私自身もこのテーマを伝え続けていくつもりです。
長生きできる国になった今こそ、「しまい方」を考えることが、最も誠実な「生き方」の一部なのです。