アルデバラン

一般社団法人アルデバラン

認知症高齢者の面会制限と「自己責任」という考え方

135 views
約5分

先日、知人から認知症の祖母に面会に行った際の話を聞きました。その祖母は九州の高齢者施設に入居しているのですが、いまだに面会時間は10分しか許されず、さらにクリアボードで仕切られているとのこと。触れることすらできず、しかも祖母は難聴のため家族の声が聞き取れず、せっかく東京から面会に行ったにもかかわらず、ほとんど意思疎通ができなかったそうです。友人は「とても切なかった」と言い、私もその話を聞いて胸が痛みました。

2023年5月に新型コロナウイルス感染症の分類が2類から5類に変更され、厚生労働省からも面会については「柔軟な対応をするように」との指針が出されています。しかし、それにもかかわらず、一部の施設では依然として厳しい面会制限が続いています。もちろん、施設ごとに事情はあるでしょうが、なぜ今もなお、クリアボードを設置し、家族との触れ合いを制限するのでしょうか?

このような状況を見ると、感染症対策という名のもとに「安全第一」を掲げた結果、過度な規制に偏ってしまったのではないかと考えさせられます。もしかすると、施設側は「万が一感染が広がった場合、メディアや世間からの批判を受けること」を恐れているのかもしれません。そうであれば、これは「誰のためのケアなのか?」という根本的な疑問につながります。

認知症高齢者にとっての家族との時間の大切さ

認知症高齢者にとって、家族との面会時間はとても大切なものです。直接顔を見て話し、手を握る、肩に触れるといった触れ合いは、安心感をもたらし、穏やかな気持ちを引き出すことにつながる場合があります。現在、私が知る施設の中には、面会を自由にしているところもあり、そこでは家族が手作りの食事を持ち込み、一緒に楽しく食事をする光景が見られます。肩を寄せ合いながら談笑し、表情豊かに会話を楽しむ姿も多く、そうした時間が認知症の方にとって貴重な刺激となることもあるでしょう。

一方で、厳格な面会制限を続ける施設では、家族と直接触れ合う機会がほとんどなく、入居者は寂しさや心細さを感じることが多くなります。遠くからガラス越しに面会するだけでは、表情の細かな変化が伝わりにくく、声もはっきり届かないことがあります。温もりのある触れ合いや、そばで安心して過ごす時間が持てないことは、本人だけでなく家族にとっても切ないものです。

「感染リスク」と「家族との触れ合い」、このバランスをどのようにとるのかが、今の高齢者施設に求められる課題なのではないでしょうか。

ドイツに学ぶ「自己責任」という考え方

私が視察したドイツの高齢者施設では、認知症の方が自由に施設外に出て散歩をしていました。一緒に視察していた日本の施設管理者が「認知症の方が自由に外に出て散歩をしていますが、事故が起きたらどうするのですか?」と質問すると、ドイツ側の施設管理者は冷静にこう答えました。

「ご家族と同意書を交わしています。ご本人が外に出たいのであれば、そのお気持ちに沿うのが良いケアです。事故は誰にでも起こります。そこは自己責任なのです。ですから同意書を作成した上で、自由にお過ごしになっています。自由に好きな場所に移動できることは、人としての尊厳です。」

私は、この「自己責任」という考え方が非常に重要だと感じました。もちろん、「自己責任」と聞くと放置しているような印象を持つ方もいるかもしれません。しかし、社会の中で生きる以上、すべての人が自分の意思決定に対して責任を負っています。それは、高齢者であっても同じです。日本の医療や介護現場では、事故が発生すると施設側の責任が問われることが多く、結果として施設は過度に守りの姿勢をとらざるを得なくなります。こうした状況が、現在の面会制限の背景にあるのかもしれません。

日本社会の「責任論」の問題

近年、公園の遊具が減少していることをご存じでしょうか?昔の公園にはシーソーやジャングルジムがありました。回転する遊具もあり、しっかりと掴まっていないと飛ばされてしまうようなものもありました。私自身も子どもの頃、このような遊具から振り飛ばされて膝を擦りむいたり、転んだりした経験があります。しかし、現代では「事故が起こったら設置者の責任」とされることが多くなり、その結果、多くの遊具が撤去されてしまいました。

同じように、日本の高齢者施設や医療機関では「何か問題が起きたら施設の責任になる」という考えが根強く、そのため、過度な安全対策が講じられ、結果的に高齢者が自由を奪われる場面が増えています。これは本当に「良いケア」と言えるのでしょうか?

「誰のためのケアなのか?」 「本当に大切なものは何なのか?」

私は今年60歳になります。この年齢になると、「人生の最期をどう過ごすのか」ということを考える機会が増えてきました。高齢者施設における面会制限の問題は、決して他人事ではなく、いずれ自分自身にも関わる問題です。

高齢者にとって、家族と過ごす時間は何にも代えがたいものです。その時間を制限するのであれば、本当にそれが最善の方法なのかを慎重に考える必要があります。高齢者にとって、家族との触れ合いは単なる交流ではなく、心の支えであり、生きる喜びにもつながる大切な時間です。面会を制限することが、高齢者の心の安定や生活の充実に本当に寄与するのか、その影響を慎重に考える必要があります。

こうした問いに対して、一人ひとりが向き合い、考えることが求められています。面会制限の背景には、さまざまな事情があることは理解できます。しかし、「高齢者のみなさんが自分らしく笑顔で過ごすために、私たちはどのようなお手伝いができるのか」を模索する姿勢が、これからの高齢者ケアには必要なのではないでしょうか。

大切なのは、「安全のために」ではなく、「高齢者のために」何が最善かを考えること。今こそ、私たち一人ひとりがこの問題に目を向け、声を上げていくべき時なのではないかと思うのです。

Share / Subscribe
Facebook Likes
Tweets
Hatena Bookmarks
Pinterest
Pocket
Evernote
Feedly
Send to LINE