この連載では、次のようなテーマを一つひとつ掘り下げていきます。
- 呼吸のふしぎ ― 酸素と二酸化炭素の物語
- 心臓と血管 ― 24時間働き続けるポンプ
- 消化の冒険 ― 食べ物がエネルギーになるまで
- 脳と神経 ― 私たちの「司令塔」
- 交感神経と副交感神経 ― 自律神経のバランス
- 筋肉と骨 ― 体を動かす精密な機械
- 尿ができるまで ― 腎臓の小さなろ過装置
- ホルモンと内分泌 ― 体内のメッセンジャー
- 免疫と防御 ― 体を守る見えない軍隊
- まとめ編:体を知ることは自分を大切にすること
今回はその第4回、「脳と神経 ― 私たちの『司令塔』」 についてです。
すべてをコントロールする「司令塔」
私たちは日々、驚くほど多くのことを同時にこなしています。
たとえば朝、目覚ましの音で目を覚まし、寝ぼけた頭で今日の予定を思い出しながら顔を洗い、朝食を作る。その間にも心臓は拍動し、肺は呼吸を続け、体温は一定に保たれています。
そのすべてを見えないところで統括しているのが、「脳」です。
脳は、体のすべての器官をコントロールし、環境の変化に応じて最適な反応を導き出す“最高司令官”のような存在です。
心臓を動かし、体温を調整し、危険を察知し、言葉を操り、喜怒哀楽を生み出す――私たちの「生きる」という営みは、すべて脳の働きの上に成り立っています。
脳の構造 ― 驚くほど精密なデザイン
脳の重さは成人で約1.3〜1.5kg。体重のわずか2%ほどしかありませんが、全身のエネルギーの20%を消費しています。
まさに「少数精鋭」の働き者です。
脳は大きく3つの部分に分かれています。
- 大脳 ― 思考・判断・記憶・感情・運動など、人間らしい活動の中心。
- 小脳 ― 体のバランスや動きの調整、姿勢の維持を担当。
- 脳幹 ― 呼吸・心拍・体温など、生命を維持するための中枢。
大脳の表面は「大脳皮質」と呼ばれ、シワがたくさん刻まれています。
このシワによって表面積が広がり、数十億個もの神経細胞がびっしりと詰め込まれています。
大脳皮質はさらに4つの領域に分かれ、それぞれが専門分野を持っています。
- 前頭葉:思考や創造、感情のコントロール、意思決定を担う。人間らしさを形づくる中心。
- 頭頂葉:触覚や温度、痛みなどの感覚を統合。自分の体の位置を把握する。
- 側頭葉:聴覚と記憶を司り、言葉を理解する。
- 後頭葉:目から入った視覚情報を処理し、世界を「見る」ことを可能にする。
これらの領域は互いに連携しながら、まるでオーケストラのように情報をやり取りしています。
神経のネットワーク ― 電気と化学の信号リレー
脳の働きを支えているのは、「ニューロン」と呼ばれる神経細胞です。
脳の中には約860億個のニューロンがあり、それぞれが枝のように伸びた突起を通して電気信号をやり取りしています。
この神経同士の接点を「シナプス」と呼び、そこで化学物質(神経伝達物質)が情報を伝達します。
- ドーパミン:喜びややる気を生み出す
- セロトニン:心を落ち着け、幸福感を与える
- ノルアドレナリン:集中力を高め、危険への反応を素早くする
この神経伝達がうまくいかないと、気分が落ち込んだり、集中できなかったりすることもあります。心の不調も「脳の働きのバランス」で説明できるのです。
脳内の神経ネットワークは、まるで宇宙の銀河のように広大で、刻一刻と新しいつながりをつくりながら変化しています。この「可塑性(かそせい)」こそが、学び・記憶・成長の源なのです。
中枢神経と末梢神経 ― 情報を運ぶ高速道路
脳と脊髄を合わせて「中枢神経」と呼び、そこから枝分かれして全身に広がる神経を「末梢神経」といいます。
この二つが一体となり、体中に張り巡らされた情報網をつくっています。
たとえば、うっかり熱い鍋に触れてしまったとき。
皮膚の感覚神経が「熱い!」という刺激を脊髄へ伝え、脊髄がすぐに「手を離せ!」という信号を運動神経に送ります。
この反射は脳を経由せずに起こるため、ほんの一瞬で体が反応します。命を守るための防御反応です。
一方で、同じ刺激が脳に伝わると、「熱い」と感じたり、「もう少し注意しよう」と記憶に残ったりします。
このように、脳と神経はただの配線ではなく、「感じ、考え、記憶する」高度なシステムなのです。
記憶と学習 ― 海馬がつくる“思い出の倉庫”
新しいことを覚えるとき、中心的な役割を果たすのが「海馬(かいば)」という場所です。
海馬は脳の内側にある小さな構造ですが、短期記憶を長期記憶に変える“記憶のゲート”として働いています。
たとえば、今日出会った人の名前や見た景色、食べたランチの味――これらの情報はまず海馬に送られ、一時的に保存されます。
その後、必要な情報だけが整理され、大脳皮質に“長期保存”されていくのです。
このときに大切なのが「睡眠」と「感情」です。
睡眠中に脳は情報を整理し、感情を伴う体験はより強く記憶されます。
だからこそ、「楽しかった」「感動した」記憶は長く残るのですね。
感情を生み出す「脳の心」
脳の中には「大脳辺縁系(へんえんけい)」と呼ばれる領域があります。
ここは「感情の中枢」といわれ、喜び・怒り・不安・恐怖など、人間らしい心の動きを生み出します。
大脳辺縁系の中でも重要なのが、扁桃体(へんとうたい)。
危険を察知したときに素早く反応し、体を守る仕組みをつくります。
一方で、過剰に反応すると不安や恐怖が強くなりすぎ、ストレスの原因になることもあります。
感情を整えるのは、「前頭前野」。理性のブレーキ役として、感情をコントロールしています。
感情と理性のバランスがとれているとき、人は穏やかに、前向きに行動できるのです。
脳を休ませる ― 睡眠とリセットの時間
脳は常に情報処理をしているため、休む時間が必要です。
睡眠中、脳は「グリンパ系」と呼ばれる排出システムを使い、老廃物を掃除します。
この“脳の掃除時間”が十分にとれないと、集中力や記憶力が低下し、慢性的な疲労感につながります。
また、リラックス時に働く「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」という回路も重要です。
ぼんやりしているとき、脳は実は休むのではなく、記憶を整理し、創造的な発想を生み出しています。
「お風呂でアイデアが浮かぶ」「散歩中にひらめく」――それは脳が静かに整理整頓している証なのです。
脳を元気に保つために
脳は使えば使うほど活性化する臓器です。年齢を重ねても、神経細胞のつながりは新たに生まれ続けます。
- 新しいことに挑戦する
- 感動する体験を増やす
- 人と会話し、笑う
- よく眠り、休息をとる
これらが脳を若々しく保ち、心の健康にもつながります。
脳を「鍛える」ことは、実は日常の中の小さな選択から始まるのです。
まとめ:脳はあなた自身
脳は、体を動かすエンジンであり、心を生み出す場所であり、あなたそのものです。
その働きを少しでも理解することで、「自分の感じ方」や「考え方」にも優しくなれます。
ときには疲れて考えがまとまらない日もあるでしょう。
でも、それは脳が一生懸命働いている証拠。
どうか自分の脳をいたわり、休ませる時間も大切にしてください。

なお、この解剖生理学シリーズは連続ではなく、他の医療・福祉や生活に役立つテーマの記事も挟みながら進めていきます。そのため「ちょっと間が空いたけれど、次のテーマがきた!」という感覚で、気軽に楽しんでいただければ嬉しいです。
次回は第5回、「交感神経と副交感神経 ― 自律神経のバランス」 を取り上げます。
ストレス社会を生きる私たちにとって、心と体をつなぐ“自律神経”を理解することはとても大切です。