アルデバラン

一般社団法人アルデバラン

「なぜ日本ではACP(アドバンス・ケア・プランニング)が遅れたのか」〜「話さない文化」と「決めさせない医療」が生んだ空白〜

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約5分

近年、日本でもようやくACP(Advance Care Planning/アドバンス・ケア・プランニング)
という言葉を耳にするようになりました。

しかし、医療・介護の現場に長く身を置いてきた人ほど、こう感じているのではないでしょうか。「なぜ、こんなに遅かったのか」「本当は、ずっと必要だったはずなのに」・・・

ACPは決して新しい概念ではありません。それにもかかわらず、日本で本格的に語られ始めたのは、ごく最近のことです。

では、なぜ日本ではACPがここまで遅れたのでしょうか。

その理由は、単に制度や知識の問題ではなく、日本社会そのものの構造に深く根ざしています。

1.「話さない」ことが美徳とされてきた文化

ACPの本質は、とてもシンプルです。

  • どんなふうに生きたいか
  • 何を大切にしたいか
  • もし話せなくなったとき、どうしてほしいか

これらを、元気なうちから周囲と共有しておくこと

ところが日本には、長い間、生や死について率直に語ることを避ける文化 がありました。私は早くからACPの必要性を研修や講演で伝えてきましたが

「縁起でもない」
「まだ元気なのに」
「そんなことを言うと不安になる」

こうした言葉を耳にしてきましたし、実際そんな話は聞きたくないと言われたこともありました。

死について話すことは、本人や家族の気持ちを乱すもの、あるいは希望を奪うものと捉えられ、結果として、「話さないこと=思いやり」という価値観が、無意識のうちに共有されてきたのだと思います。

しかしACPは、「死を準備するための話し合い」ではないのです。生きている“今”を、どう大切にするかを確認する行為 です。人は死ぬ瞬間まで生きているのです。この前提が、日本では長く理解されないままでした。

2.「自己決定」が育ちにくかった医療文化

もう一つの大きな理由は、日本の医療が長く パターナリズム(父権主義) に支えられてきたことです。

  • 医師が決める
  • 医療者が最善を考える
  • 患者は「お任せします」と言う

これは決して、医療者が冷たかったからではありません。むしろ「責任を一手に引き受ける」
「患者を守る」という善意の形でした。私が看護師となり急性期の医療機関にいた平成初期時代はまさに「医師の指示に従う」「医師の指示に意見や反論は許されない」という時代でした。

その結果、患者自身が「どこまで治療を望むのか」「何を優先したいのか」を言葉にする機会が、極端に少なくなります。少なくなるというよりも話すことが許されない雰囲気なのです。

ACPは「本人の価値観を中心に据える医療」を前提とします。この価値観の転換は、日本の医療文化にとって、想像以上に大きなハードルでした。

3.「家族が決める」ことに依存してきた社会構造

日本では長く、最終的な判断は家族がするものという前提がありました。

本人が何も言っていなくても、

  • 家族が察する
  • 家族が話し合う
  • 家族が決断する

これが「普通」でした。

しかし現実には、家族ほど迷い、苦しむ存在はいません。「本人はどう思っていたのだろう」
「これでよかったのだろうか」ACPがないまま行われる意思決定は、家族に深い後悔や葛藤を残す ことがあります。そのような場面を幾度となく見てきました。

それでも日本では、この負担を「家族の役割」として暗黙のうちに引き受けさせてきました。ACPの導入は、この構造そのものを問い直す行為でもあったため、簡単には進まなかったと認識しています。

4.制度が「延命治療中心」で組み立てられてきた現実

日本の医療制度は、長らく 「治す」「延ばす」 ことを中心に設計されてきました。まさに私が病院時代で過ごした平成は「至上延命主義」の時代でした。

  • 点滴
  • 人工呼吸器
  • 経管栄養
  • 胃ろう

これらは本来、必要な人にとっては重要な医療行為です。しかし問題は、「選ばない」という選択肢を選べなかったことにあります。

ACPは、治療をする・しないを決める制度ではありません。その人にとっての「意味」を考えるプロセス です。ところが日本では長く、ACPが「延命治療を拒否する話」「何もしないと決める話」として誤解されてきました。

この誤解こそが、ACP普及を大きく妨げた要因の一つだと私は考えています。

5.2018年、ようやく制度が現実に追いついた

2018年、厚生労働省 は「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」を改訂しました。私は現場にいて、「ようやくここまできたか」と思ったのを覚えています。

ここで初めて、

  • 繰り返し話し合うこと
  • 文書より対話を重視すること
  • 状況に応じて考えが変わってよいこと

が明確に示されました。これは、日本がACPの本質に一歩近づいた瞬間だったと言えるでしょう。

おわりに:遅れたのではなく、問い続けてきた

日本でACPが遅れた理由は、「意識が低かったから」ではありません。

  • 人を思いやる文化
  • 家族を大切にする価値観
  • 医療者が責任を背負う姿勢

それらが、別の形で存在していた だけです。いま、ようやく私たちは気づき始めています。「話さない優しさ」よりも、「話し合う勇気」が必要な時代に来ている ことに。

ACPは、終活でも、延命拒否でもありません。その人の人生を、最後まで尊重するための対話 です。この対話を、日本社会がどう育てていくのか。それが、これからの私たちに問われています。

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